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テレビ番組の感想を綴るブログ

朝ドラ「まれ」はなぜ酷評されるのか

現在放送中の朝ドラこと連続テレビ小説「まれ」。
収録がクランクアップを迎え、放送も残すところあと1ヶ月。しかし本作の評判はあまり良くないように思う。もちろん楽しんで見ている視聴者もいるのだが、ネット上の感想を見る限りでは否定的な意見が目立つ。
 
批判されるポイントとしては
 
・脚本が支離滅裂
・仕事ナメすぎ
・共感できる人物がいない
・役者の無駄遣い
・ギャグがサムい
 
といった物が多く見受けられる。
 
自分も毎回では無いが昼の再放送は大体見ている。その上で言わせてもらうと、はっきり言ってドラマとしては面白くない。
ただ朝ドラというのは月曜日から土曜日まで毎日15分間を半年間、という特有の放送形態をとっている上、朝の忙しい時間にも見られるような内容が求められている。
要するに他の時間帯のドラマとは一概に比べられないのであるが、では「まれ」は朝ドラとしてはどうなのか。
 
自分が朝ドラを見始めた90年代からゼロ年代の朝ドラ作品のイメージといえば「若い女の子がなんか一生懸命頑張ってるドラマ」である。
細かいストーリーや設定は覚えてないのだが、主人公の女の子が困難にぶち当たりながらも家族、友人、職場の先輩などに支えられながら成長し、恋をして結婚して母になる(この辺は作品によって誤差がある)というお決まりのパターンがあったように思う。こういった点さえ押さえておけば朝ドラはOKだったのだ。そして「まれ」もこのセオリーに見事に倣っている。
しかし重要なのはこの朝ドラのセオリーがもう使い古されてしまったということである。
 
ゼロ年代後半になると朝ドラの視聴率は減少の一途を辿り、枠自体の存続も危ぶまれたという。
それを従来の朝ドラとは違うアプローチで復活させたのが2010年の「ゲゲゲの女房」である。
この作品の主人公は物語の序盤でお見合い結婚をし、漫画家である夫を支えるため勤めに出ることもなく一生専業主婦を通すのである。従来なら「支えられる」側だった主人公が終始「支える側」になった。
そして現代を舞台にしたオリジナル脚本が主だった朝ドラにおいて「時代物」「実在の人物がモデル」というパターンを恒例化したのもこの作品からだろう。
 
そんな中において「まれ」は復活以前の朝ドラに分類されるドラマである。
時代物が恒例化する中であえて現代物に挑むからには何か新しい部分を見せてほしいのだが、純と愛」の「朝ドラをブッ壊してやる」という攻撃性もあまちゃん」の「朝ドラの枠を超えたヒットを生み出してやる」という気概もこの作品からは感じられない。
斬新というわけでも無難というわけでもない、とにかく中途半端な作品なのである。
 
そもそも過去に女流棋士やら大工やら落語家やら海女さんやらを主人公の職業としてきた朝ドラにおいて、「まれ」のパティシエを目指す主人公という設定自体が2015年にもなってやることか?という感じがするし、いかにも時代物が似合いそうな土屋太凰を髪切らせてまでこの作品に起用したことも含め、妙にピントがズレていると思う。
 
次に控える「あさが来た」「とと姉ちゃん」の2つも再び「時代物」「実在の人物がモデル」のパターンで、この流れはしばらく続きそう。
でも現代物の傑作が見てみたいと思うのも本音。
そのためには半年間面白いオリジナル作品を書ける脚本家の力が必要不可欠。
過去の朝ドラ経験者が再登板というのもありだと思うが、どうだろう。